推しを推しすぎて正気を保てないオタクです。こんにちは。
ブログ記事1つ目がこんなアホ全開タイトルになるなんて、幸先がいいな~~!!と思うことにしました。
重度のポルノグラフィティオタクが書く「ファースト・マン」感想記事です。
本気で言ってるわけではないので怒らないで聞いてほしいんですけど、映画観終わって出てきた感想が
「デイミアン・チャゼル監督、ポルノグラフィティのリスナーだったんだ………」
だったので、記念に書き残しておこうと思います。
(※「記念に」:気が狂ってて後から読むと笑えそうだから)
以下、「ファースト・マン」ネタバレを含むので注意してお進みください。
核心には触れてませんが、部分的に「インターステラー」の話に触れてます。ネタバレ一切見たくない方はそっと避けてくださいね。
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【はじめに】
普通のブログならこの辺に「ファースト・マン」のあらすじとか監督とかキャストとかが書いてあるんですけど、本記事は鑑賞済みの方向けに書くので省略します。
必要なリンクだけ貼っておきますね。
必要なリンク、といえばもう一つあります。
私は「ラ・ラ・ランド」でデイミアン・チャゼル監督とライアン・ゴズリングに精神をタコ殴りにされ映画館で灰になったことがあるので、
「ファースト・マン、題材は気になるけど…劇場で観る勇気がなかなか出ないな…」
と思っていたのですが、こちらの動画が出た瞬間に劇場に行くことを決めました。
おかげで一瞬で「劇場で観ま~~~~す!!!」になりました。配給会社さん、超ありがとう。
【本筋と関係のない感想】
最初にライトな感想だけ箇条書きします。
あ、史実をきちんと調べてないので、本記事ではあくまで「ファースト・マン」という映画の中のキャラクターとしてニール・アームストロングを扱います。
・観終わって、「すごい怖いジェットコースターに4~5回乗った」みたいな感じの虚脱感に襲われた……
・よくニールの顔のアップが出てくるので、「ライアン・ゴズリング、白目も綺麗だな…」とか思って精神を保とうとしていました
・1秒1回以上のグルグル回転のシーン、あまりにしんどくて気が遠くなりそうだった
・回転が止まったあとのシーンで「ライアン・ゴズリングのバッサバサ睫毛が光に透けるの美しいな…」って呆然と考えましたね
(だいたいゴズリングの顔面の美しさで気を紛らわせている)
・「しんどい」という感想は聞いてたんですけど、まさか泣かされると思ってなかった。最後の10分でべろべろに泣いたんですけどどうしてくれんの?
・まあ見てて100分くらいまでの感想は「宇宙旅行、マジのマジで絶対に嫌」でしたけど
・だって怖すぎるから
・「なんでそんなボロボロのガタガタのハリボテみたいな箱で宇宙に行こうとしたの?」って肩揺さぶりたくなるくらいに宇宙船がいちいちボロボロだった
・それが劇中で爆発するし墜落するし…
・「もうやめて…人類…生き急ぐな…あと20年待っていい…」ってひたすら念じてしまった
・上の動画見返したら、晴一さんこの映画の鑑賞後に「機会があれば月にも行ってみたいし」とか言ってる。正気か?
・私この映画「月に行ってみたいなんて寝言二度と言えねえようにしてやるよ」ってねらいで作ってるのかと思ったよ前半60分間くらい
・絶望シーンはいっぱいありましたけど、火花が起きて酸素に燃え移ってあっという間に火事になるシーン、最後が引きの画面なのが本当に怖かった
・誰も見ていない蓋の向こうで、ばっと強い光が上がってもうそれっきりっていう…
・その事故の報告を電話で受けるニールのシーンもまた圧巻でしたね
・「君たちを矢面には立たせない。いいね?」
「……ええ」
「……OK?」
「……………………OK」
OKを言うまでの間が長え~~~!!
全然OKじゃねえんだよって感じがひしひしと伝わってくる。分かります私たち観客も全然OKじゃないです
・そして受話器を置くまでの時間がまたな、長え~~~~~!!
・やっと受話器を置く音がしたと思ったら、それとは別のガチャンという音がして、何かと思ってニールが下を見ると、右手はグラスを割り血が滴っている
・このシーケンスが完璧すぎる
・月に行くことが決まったシーン、子供たちの成長が泣かせますね
・お兄ちゃんがそっと母の背中に触れ、「どうしたの? 何かあったの?」と尋ね、「外で遊んできていい?」と自分から申し出る…
・何かがあったとき「外で遊んでなさい」と言われてきたシーンや、放送を聴いている母の背中にタオルを当てて怒らせるシーンが、ここでこんな風に変奏されるとは…
・そういえば、夜の道を同僚と歩くニールが、ジャネットにさえ話さないカレンのことをなぜ口にしたのか…
・なかなか意味深いシーンでしたね。あれももう1回か2回見ないとわかんないな
・「妻のジュエリーを持っていくよ」という言葉がバズから出たのに対して、ニールは何を持っていくのか。荷造りのときに子供の歯ブラシでも入れてんのかな? と思ったら…
・「ジャネットと踊った音楽」を持ってきていた…
・本当にロマンチックでぐっと来たしジャネットに教えてあげたかったしニールおまえ顔がライアン・ゴズリングなのやめてくれ(「ラ・ラ・ランド」で精神をボコボコにされた民)
以上、とりとめのない箇条書きでした。ここからはテーマごとに分けます。
【映画最大の謎:なぜニールはそこまでして月に行こうとするのか?】
観客はほぼ全員「紆余曲折あれど、アポロ11号は月面着陸と帰還を成功させている」という知識を持ってるから、映画としてクライマックスをどこに持ってくるのかが気になっていました。
もちろん、色んな困難を乗り越えて、人類が月面にやっと足を置くシーンは感動なんだけど、この映画のクライマックスはそうじゃない。
ニールたちが月面に降り立って、スクリーンにカレンが映った瞬間、
この映画の最大のミステリーは「なぜニールはそこまでして月に行こうとしたのか」だったのだ、
というのが最後に分かる仕掛け……
に見えました。
(※私が勘の鈍い観客であるというのも原因)
いや、普通に見てても
「なんで…? なんでこの人一回も『うわ怖…やっぱ宇宙行くのとか正気じゃねえかも…』ってならないの?」
とは思うから、別に隠されたテーマってことではないんですけど!!
ただ、わかりやす~い形の出題をしてない。
めちゃめちゃわかりやす~い台詞を作るなら、ジャネットから
「どうしてそこまでして月になんか行きたがるの! こんなに死人が出てるのに!」
などと聞かれたのに答えないニール…
なんていうシーンを作れば、
「ああ、この映画のキモ(最後まで引っ張られる謎)は、“なぜニールは月に行きたがるのか?”なんだな」
と100人中100人が分かると思うんだけど、そういうのはしてない。そんな簡単に見せたりしない。
その謎が解かれるときに、私たちはやっと、それがそもそも最大の謎であったことに気付く。
渋い作りで好きだな~と思いました。
【「内省的」なクライマックスで、ニールが見たもの】
クリストファー・ノーラン監督が本作を絶賛して「この映画の意義深さは、しばらく正当に評価されないのかもしれない」と言った話、全体通してのことだろうけど、やっぱり一番は月面シーンのことなんじゃないかなと思う。
theriver.jp
星条旗立てるシーンがないのは全く気付かなかった(史実に疎すぎる)けど、一観客の私も同じことを感じました。
これは人類の偉業を人類の偉業として描いてるんじゃない、ある男の個人的な体験の話なんだなって。
映画として明らかに、ニール視点の映像が多かったし。月面着陸する時の足元を見る画面とか、宇宙船の扉を閉めて笑顔で見送ってくれるスタッフを見上げる画面とか。
で、帰還後のニュースで流れる台詞。
「未来の人たちにはわからないかもしれない。月に初めて辿り着いた彼らは、何かを“見た”のだ」
(↑うろ覚えなので、DVDで見返したときに修正します)
これ、拡大解釈ができるよなとも思いました。
ニールが月面に立って、月の地平線を見ながらカレンのことを思い出すという本作のクライマックス。
素直に解釈すれば、
「ニールはもともとカレンのことを想うために月までやって来た、
だから月に来てカレンのことを回想している(スクリーンにカレンの映像が流れる)のだ」
という話だと思うんですが…
もしかしたら「本当にニールの目にはカレンが見えた」のかもしれない、と思わせるのがこの「何かを見た」のアナウンス。
人類の誰も到達したことのなかった月面に初めて降り立ったとき、ニールの精神や心や魂といわれるような部分に、1969年の科学では説明できなかったこと、もしかしたら今2019年の科学でも解き明かしていないことが起きたのかもしれない。
そして彼は、時間や空間を超えてカレンの姿を見たのかもしれない。
と、ちょっと想像を拡張できる台詞だなと思いました。
「インターステラー」を観たせいもあるかも。
うろ覚えだからDVDが出たら検証したいんですけど、ニールがカレンを思い出す描写、カレンの幻を見る描写は常に「ニール視点」じゃなかったですか?
髪の毛に触れる自分の指先だったり、床に座って遊んでるカレンの姿だったり。
それが最後の月面のシーンでは「カレンと一緒にいる自分」が見えている。
この辺りもちょっと何かを超越した現象だったり、単なる回想では済まない精神世界のように思えるよな~と…思いました。
その辺のことを考えると、「インターステラー」が出た時に
「この映画は『トランセンデンス』とも『LUCY』ともつながる」
と思ったのを思い出すし、「ファースト・マン」もつながるんじゃないかな…って気持ちになるんだよな…
陳腐な言い方でしか書けなくて申し訳ないんですけど、
「インターステラー」のロマンチックなところが、「ファースト・マン」にも同じく流れているよね、という話です。
先の記事でノーラン監督の話す「人類」と「個人」、「開かれた出来事」を「内省的に映画化」といった部分が、もうそのまんま「インターステラー」との共通点になってるし…
逆に、「インターステラー」との違いは何かと言えば、もちろん史実を基にしているか否か。
上でも言いましたが、史実を基にしている以上、観客はアポロ計画の結末を知ってます。アポロ11号は月面着陸に成功し、ニールたちはみんな地球に帰ってくる。
だからクライマックスとは別に、どう幕を引くのかも気になってました。
月面着陸したところで「やったー! 大成功!」で終わるのか?
いやいやアポロ11号が発射されたところで「もう後は皆さんご存知ですよね…」として、史実の写真を流して終えるのか?
いやいやちゃんと月まで行って帰ってきた後、地球で大歓迎されるなんていう華々しいシーンを入れるのか…?
結果、チャゼル監督の選んだラストシーンは、私にとっては意外だった。
少なくとも、「アポロ計画にまつわる失敗と成功を描いた物語」と言われた時に想像し得るラストではなかった。
で、私が「チャゼル監督、ポルノグラフィティのリスナーだったのか…」と思ったのはそこなんですよ。
(※ここから正気を失います)
【デイミアン・チャゼル監督とポルノグラフィティ新藤晴一が見たもの】
あなたも私も配給会社の担当者さんもご存知、ポルノグラフィティ「アポロ」ですけど。
人類を乗せて遥か彼方の月まで飛んでいった、テクノロジーの塊である宇宙船と、人類の歴史を一本貫く愛を同時に語る。
なんでそんなもん一緒に語るんだ…
この曲のサビ4行を思い出したのが、月面でカレンを想うシーンと、映画ラストでガラス越しに言葉もなく見つめ合うジャネットとニールのシーンでした。
極端な言い方すると「チャゼル監督と新藤晴一、月を見て同じことを思ったんだね……(涙)」って泣いた。
いやほんと、エンドロール入ってラストシーンの余韻に浸って泣きながら「チャゼル監督、『アポロ』の歌詞解釈めっちゃ合う~~~」って思ったからね。繰り返すが私は正気ではない。
だって一見、関係ないじゃないですか。アポロ11号とかいう宇宙船に乗ってとんでもなくリスキーな旅をして月に降り立つことと、すぐ隣にいる大切な人を愛することって。
全然関係ない。むしろ真逆にさえ見える人もいるかもしれない。
好きな人を置いて海外に行ってしまうことでさえ恋愛ドラマのクライマックスになるっていうのに、何で命懸けで月なんかに行くのか。
どんだけ離れてると思ってんの? 約38万kmだよ? 映画の中で黒板2枚使ってたでしょ?
でも、「ファースト・マン」でチャゼル監督はその2つを繋いでみせた。
どうして人は月まで行こうとしたのか。
空を見上げて月を見つめるニールのシーンは何度も出てくる。上方を見ているライアン・ゴズリングの瞳のアップは何度も映る。
空を見上げて月を見て、「本気で月に行こうって考え」ている。
いろーーんな失敗があって、いろんな犠牲を出して、いろんな危険を冒して、それでも最後、ついに人類は月面に降り立つ。
でもこの映画ではそうじゃない。ノーラン監督の視点を借りるなら、この映画では「ニール・アームストロングが」月面に降り立つ。
悲願の旅に成功して、未踏の地に降り立った彼が、誰にも言わず、誰にも知られずにしたこと。
このクライマックスで初めて、関係ないはずの「アポロ11号」と「愛のかたち」が結びついた。
それは、無事に帰ってきたニールに何も言葉が出ないジャネットと、カレンの弔いのことを語らずにただジャネットを見つめるニールが、ガラス越しに手を触れ合わせるラストシーンでも同じく綺麗に結びつく。
死ぬかもしれない危険と隣り合わせで、それでも全てを懸けて月に行くこと、
誰も到達したことのなかった月面で、二度と会えない娘を想いひとり涙を流すこと、
たったの3週間、ほんのガラス1枚で隔てられた愛しい人に、今触れて愛を伝えたいと願うことは、
全部同じことなのかもしれない。
というのが分かったところで作品は終わり、エンドロール。
もうこのエンドロールでずっと泣いてた。
そういう、そういうことだったのか、チャゼル監督がこの映画で言いたかったのはそのことだったのかーー!!!って泣いた。
本気で月に行こうって考えたんだろうね
なんだか愛の理想みたいだね
ずっと何百回も「アポロ」で聴いてたのに、映画が終わるまで気付きもしなかった…
【終わりに】
ところで、お月さまといえば、「どんなにきみがすきだかあててごらん」という絵本を思い出す人も多いのではなかろうか。
ぼくがどんなにきみのことを好きか当ててみて! というやり取りをするチビウサギとデカウサギのお話ですが、「どのくらい好きか」を表すのにお月さまが出てきます。
何度も比べあったところで、もうチビウサギは眠くて何も思いつかなくなり、
「ぼく、おつきさまにとどくぐらい きみがすき」といって目をとじます。
デカウサギはチビウサギを木の葉のベッドに寝かせると、おやすみなさいのキスをして、
「ぼくは、きみのこと、おつきさままでいって・・・かえってくるぐらい、すきだよ」
「インターステラー」のクーパーも、「ファースト・マン」のニールも、
大気圏の先のずっと向こうまで行って辿り着いた答えは、このデカウサギのたった一言だったのかもしれない。
月を見上げてアポロ11号に思いを馳せた、チャゼル監督と晴一さんも。
おしまい。