ドラゴンクエストの幅広いファン層のうち、「まあまあ軽いファン」くらいの人間としてこの映画は観に行っておくべきだろうと思っていましたので、公開されてすぐに行きました。
「たとえ私の解釈と違う物語やキャラクターを見せられたとしても、すぎやまこういち先生の曲を映画館の音響で聴けるならそれだけでお金を払う価値がある」と。
見終わるとどうしても記事を書かずにはいられなくなったので、自分の気持ちの整理用に書いておくことにします。
以下、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」(2019)の重大なネタバレを含むので注意してお進みください。
できるだけ、以下に当てはまる人だけが読んでください。
・この映画を観た
・この映画を観ようかどうか迷っていて、ネタバレを見てから判断したい
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【はじめに】
今回も鑑賞済みの方向けに書くのであらすじとかキャストとかは省略します。
必要なリンクだけ貼っておきますね。
【感想の要点まとめ】
冒頭に要点だけまとめます。
・吉田鋼太郎のゲマが本当にゲマだから、それだけでも観る価値がある
・すぎやまこういち先生の曲が映画館の音響で聴けるから、それだけでも観る価値がある
・戦闘シーンの魔法や剣術でかっこいい瞬間がいくつもあるから、それだけでも観る価値がある
・ドラクエ5を好きな人、ゲームや創作物が好きな人にとってものすごくショッキングで侮辱的なシーンがあるから、
それだけでも上の3つの良さをすべて諦めて観るのをやめる理由になる
以下はだらだら感想を書いているので時間がある人だけ読んでください。
今回の「ユア・ストーリー」について、特にそのラストが賛否両論と既に言われていますが、
(私が見る限り賛否両論というより賛否否否否否否両論って感じだけど)
このラストを許せるか否か、ありかなしかでほとんどの評価が決まってしまうと思う。
気持ちの整理用なので思いついた順に書くね。
【よかったところ】
とりあえずよかったところを箇条書きする。
●とにかく音楽が最高!!!
すぎやまこういち先生の曲をありったけ使えるのは映画としてかなりのブーストだよな…
音楽は一応天空シリーズを中心に使ってたと思うので、個人的にはあまり違和感なかったです。
ゲーム本編だって8以降は過去作の曲わざと使ってるし、映画作るなら許容範囲かなと。
●ビアンカとフローラ問題
うまい物語処理してるなと思った。
フローラのキャラクターがよく生かされてて、納得しやすい運びだと思う。
●シナリオの取捨選択
原作の壮大な物語を100分ちょっとに収める脚本として、要素の取捨選択はそこそこ的確というか、合理的だと思った。
グランバニアの王族であることに一切触れないとか、出てくる土地はできるだけ絞って背景の作画コスト削減するとか。
双子が双子じゃないのは悲しかったけど、妹出しても100分の尺では空気になるだけだから仕方ないのかな…
●パパスの悲しさ
パパスが悲しかったな…
ゲーム本編のときはやっぱり主人公に感情移入してるから「お父さんが死んじゃった」ショックが大きかったけど、大人になって映画として見ると、
「愛するマーサを連れ去られて最後まで彼女に会えないまま、生きている彼女を助けられないまま死んでいく」
というパパスの無念がやるせなかった。
山田孝之の演技もすごく物語への思い入れが感じられてよかった…さすがドラクエ5ファン…
●過去に戻ってオーブを取り換えるシーン
パパスの声がしてそっと岩陰に隠れながらも向こうを見ようとするリュカ。さらっとしか描かれないんだけど切なかった。
●マーサの最期
「あなたに一目会いたくて生きながらえてしまいました」と言ってこと切れる。賀来千香子さんの説得力素晴らしかったな…
●ゲマ
とにかく出色の出来で、もうほとんど吉田鋼太郎だと忘れていた。
笑い方も喋り方も何もかも、「ゲマがそこにいる!!」って感じだった。キャラデザとも怖いくらいにぴったりだった。
●ミルドラースの声
突然異物として侵入してくる感じ、井浦新さんの異質さがとても合ってた。
あのミルドラースをそもそも許すかどうかはおいといて、純粋にキャスティングとしては評価されていいと思う。
●アルスが天空の剣を抜く
一番テンション上がったのはやっぱりアルスが天空の剣を見事に抜くシーンだった!
あそこで序曲がかかって高らかにファンファーレが響くの、
「あ~~~~これこれ~~これを観に来たのよ我々は~~~!!!」
って感じで鳥肌が立った。
つるぎに対するツッコミはすでにいろんなところで言及されているので省略。
●ギガデイン
最終決戦で先陣を切ったリュカが少しやられかけてるところに、閃光のように飛び込んできてバッタバッタ敵をなぎ倒し、ギガデインをぶっぱなすアルスも
「よかったうちのパーティに勇者がいて~~~!!!!」
っていう安心感が半端なかった。
ドラクエ5は「自分が勇者ではなかった」人の物語だから、あの「勇者が持つ絶対的な強さ、安心感」を客観的に受け止められるのが醍醐味なんだよね~。
それが見事に表現されてたのが素晴らしかったです。
●床ドンバギクロス
同じく最終決戦のリュカvsゲマで、追い詰められたリュカが地面にバンと手を置いてバギクロス唱えるとこもいい。あれも痺れた。
●ブオーンが萌えキャラ
大変よかった。かわいい。
【ん? と思ったところ】
●スラりん
今回なぜスラりんに山寺宏一を連れてきたのか途中までまったく分からなかったんだけど、デウスエクスマキナだったからなんだね…スラりんエクス山寺宏一…(?)
●キャラクターの「ニヤッ」
山崎貴チームの手癖なのか分からないけど、登場キャラクターの多くが判で押したように同じ表情でニヤッと笑うのが気になった。
カテゴリーで言えば、ディズニーのラプンツェルでフリンライダーがするようなワルい笑い方なんだけど、
あまりに多くのキャラがその笑い方をするので結構見ていて飽きると言うか、
「またその顔? なんでみんな笑い方が同じなの?」
と思って集中力をそがれた。
●出しっぱなしベギラゴン
メラゾーマばんばん放出できるビアンカくそ強ええ~~~と思ったけど、ブオーン戦でベギラゴンぶっぱ継続しながら逃げるのすげえなと思った。すぐMP尽きそう。
実写版「鋼の錬金術師」でもマスタング大佐の炎が「火炎放射器?」って突っ込まれてたけど、ちょっとそれ思い出したな…
●一撃で終わる敵討ち
ゲマに切り込んでいくリュカが、かつてパパスをいたぶった仇2匹を何の情緒もなく一撃で切り捨てていくのもちょっと笑った。
めちゃくちゃレベルアップしたんだなとは分かるけど余韻も何もない。
●ビアンカの呼び方
「おまえ」呼びはちょっとびっくりしたかな…
幸宮チノ先生の「ドラゴンクエスト 天空物語」の夫婦のイメージが強かったので。
でも喧嘩するきょうだいみたいな関係性なんだろうなとは理解できた。解釈は合わないけど。
それでいうとヘンリー王子に敬語使うリュカにもちょっと衝撃だったな…これは完全に4コマ漫画劇場のせいだけど(笑)二人が対等に喋ってるイメージを持ってた…
この辺は小説版ではどうなってるんだろうか。未読なのでわからない。
【解釈が合うかどうか】
私はドラクエ5の主人公が推しなので、観る前から一応不安はありました。
ただ、好きな作品のリメイクに昔より寛容になったので、大丈夫なような気もしていた。
昔の私だったら実写版「鋼の錬金術師」を許さなかったかもしれないが、2017年の私は全然許せたし…
「今回はこんな感じの主人公なのね」
「でも私にとっての原作主人公は揺るがないもんね」
と落ち着けるとは思っていた。
本当に、割と「エモければ多少の粗は許す」くらいのユルい観客なんですよ普段は。
一応、ラストを知らないで観ていた私は、
「このリュカ大馬鹿野郎だな」(フローラに求婚しといて翌日撤回すな)
とかいろいろ思ってはいたけど、まあこういう解釈のキャラで映画を作るのもよかろう。くらいには思っていました。
ただ、リュカの喋り方にところどころ違和感はあった。後から考えるとその違和感こそが伏線なんだけど。
【ラストへの伏線】
というのも、一応あのびっくりラストは突然ではなくて、きちんと伏線が張られている。
たとえばこのあたり。
・大人になったリュカが山小屋を訪れた時の「つーか、さみっ!」の呟き
(リュカを含めた今までの登場人物たちの喋り方に対して妙に現代的で浮いている)
・おばあさんからもらった薬で「リュカのほんしん」に潜っていくときの画面
(精神世界という割にはデジタル処理っぽくて唐突)
・マスタードラゴンとの「ロボット? 合わなくないですか?」「今回はそういう話らしい」のメタ発言
ただ、「伏線張ってあるからフェア」って言えるかと言うとそうでもないんだよな…
【ラストの乱暴さ】
まず確かなのは、ミルドラースがあの世界のCG処理をどんどん剥がしていくシーンが、私にとってひどくショッキングだったということ。
小学生男子の私の前に魔法使いが現れて、
魔法使い「好きな女の子は誰?」
私「○○ちゃん!」
魔法使い「じゃあもっと○○ちゃんのこと知りたいよね?」
私「うん!」
魔法使い「ほーら見てごらんこれが○○ちゃんだよ」
っていきなり目の前で好きな女の子人体解剖された感じだった…
そもそも、「現実世界だと思って見ていたものが実はVRでした」オチというのは特に目新しくはない。
そのうえ微妙に公開時期が「HELLO WORLD」に近いのもまた痛手だなと思う。上映前の予告編でこれかかっちゃってたもんな…
それでもこの映画で、この2019年に、ドラゴンクエストでこれをやる意味があるのか?
という疑問に対して、正直なところ私は答えが見つからない。
問題になってる山崎貴総監督のインタビューも、「オチを思い付いたから使おうと思った」くらいに読めてしまうし…
だが、劇場版アニメの成否をも左右するような、ラストシーンのあるアイデアを「思いついてしまった」と山崎総監督。そこで初めて「映画にする意味」も見えたといい、「同時に、キャラクターの開発を始めました。で、作るならどういう世界観かと試しているうちに、だんだん情が湧いてきてしまい(笑い)、『これならやれるかもしれない、いや、やりたい』となった」と経緯を語る。
実際には彼はオファーを受けた(しかも一度は断った)側なんだろうけど、作品を観たドラクエのファンとしてはどうしても
「なんでこれをドラクエでやったの? オリジナルでやればよくない?」
と思ってしまう。
メタなネタをぶっこんで来た近年の某マーベル原作映画(どれとは言わない)と同じように、ある意味
「物語を消費しているのはおまえらだ」
と突きつけられたわけだけど、
マーベルがショッキングなようで丁寧に緻密にやってくれた一方、「ユア・ストーリー」はかなり乱暴だったな、というのが正直な感想。
観ているとき本当にショックで背筋が冷えたし、大好きなゲームをバキバキ音を立てながら無遠慮に解体されているようで、
「やめてくれやめてくれ」ってリュカじゃなくて私が叫びだしそうだった…。
【仕掛けは成功? 失敗?】
このショッキングさが、物語の仕掛けとして"成功している"ことになるのか、
不快感を与えて"失敗している"ことになるのかは分からない。
あくまで私個人の感覚で言えば、あれを「成功」とは言ってほしくない。
というのも、「実は虚構の世界でした」をやるならもっと違う解答を出してほしかったから。
神殿の皮を剥いで、ビアンカを真っ白なCGにして、ファミコンのソフトにふーふー息を吹きかけるシーンを挿入して、
あんなにショッキングな見せ方をしてまでその展開をするなら、今までに見たこともない言葉や選択で新たな展開を切り開いてほしかった。
ところが、主人公の言葉は
「ゲームの中のこいつらは確かにいたんだ」
「あの日夢中になって遊んだ日々は本物だった」
という程度で、
もう今までのアニメ漫画小説映画、ありとあらゆる「世界は実は虚構でした」系作品で使い古されてきたアンサーでしかない。
それが一番のがっかりポイントだった…。
実はVRでした~~~ピッピロピ~~~!!オチが悪いっていうわけじゃない。
「VRオチを使ってまで言いたかったことが今更それかよ」っていう陳腐さが解せないのだ…
意地の悪い言い方をするなら、
「VRオチを使わずに、ストレートにドラクエ5を映画化する自信がなかったんだな」
「ドラクエ5という作品の力を使わずにオリジナルでVRオチを作る自信がなかったんだな」
という分析をされても仕方ないと思う。
それくらい、ドラクエ5でこのオチを使う意義が感じられなかった。
あまりに着地点が陳腐すぎて。
【ドラクエを物語るドラクエ】
かわいそうだなと思うのは、シリーズ最新作であるドラクエ11で既に
「ドラゴンクエストを物語るということ」
というテーマに迫っていたこと。
しかもそのテーマに対してメタに振り切らないまま、「ドラゴンクエスト」の枠の中で「ドラゴンクエスト」を見事に総括してくれていた(と私は感じた)。
だから11をプレイした後に見ると余計に、
「え、今それ?」
「"ドラクエ"が"ドラクエ"を物語るのはもうやったよね? しかも本編で」
「ていうかこのオチをドラクエでやる意味ある? 別のゲームでも成り立つ話じゃない?」
と強く感じてしまった…。
【終わりに】
観た直後はどういう気持ちになっていいのか分からなくて、
面白かったと感じたのか、感激したのか、ものすごく腹が立ったのか、悲しかったのか、自分でも判別がつかなかったんですが、
その後ご飯食べようとしたら思いっきり食欲が失せてたので
「あ、ショックだったんだな」
と自覚しました。
気持ちの整理をつけるためにこの記事を書きましたが、
一方でアルスの鮮やかな戦闘シーンとか、高笑いがぞっとするほど怖いゲマとか、かかる曲かかる曲すべてが美しいすぎやまこういち先生の名曲たちとか、
「もう一回観たい」と思わせる要素がいくつもあります。
ただ最後の20分は絶対劇場から出るけど。
まだ観たばっかりで混乱しているのかもしれませんが、いずれ「またあのシーンが見たいな」「あの曲がかかる瞬間を見たいな」と円盤を買う日が来るのかもしれません。
ただ最後の20分は絶対再生止めてエンドロールまで飛ばすけど。
以上です。
正直、上映前の広告でかかった「星のドラゴンクエスト」実写CMを100分見てた方がよっぽど良かったんじゃねえかとは思っている。